めきょさんの過去の産物

3年半近く、計2ヶ所のブログに書いていた記事をアーカイブするために作りました。

宮城県北部(石巻・女川)に行ってきました【前編】

皆様、おはようございます!
黒田官兵衛って実はNADEGIRI大好きだったということを全く知らず、この「戦国時代に生まれたヨハネ・クラウザー2世」を御した豊臣秀吉SUGEEE!と思ってしまいました、めきょです。
参考動画↓

僕のイメージは、「吹き矢で柴田勝家の足を止める黒田官兵衛」か、「やたらイケメンな黒田官兵衛」か、「お前軍略本じゃなくて麻雀本読む奴だろ」って感じの黒田官兵衛かってイメージなんですが、それのどれでもない「武闘派の黒田官兵衛が出てくるとは思いませんでしたねぇ…
っていうか軍師なのに前に出るってどういうことなの…

ご存知の方も多くいらっしゃると思いますが、僕は宮城県に2年半の間住んでいました。
仕事先は仙台市内の田舎。国道4号(仙台バイパス)沿いの地理を中心に、東は松島(町)、西は(仙台市太白区)秋保、南は角田(市)までの地理関係はまずまず分かるようになってきた頃、僕は気付きました。

宮城県内北部って・・・行ったこと無いなぁ・・・

と。

田舎の若者()の定番パターンである「イオン、ゲーセン、映画」のパターンに漏れず、僕も休日は午前中に掃除・洗濯を済ませ、午後になったら近所(車で10分ぐらい)のゲーセンで2時間程遊ぶ。そして帰りに西友で買い物し、夜は家でチビチビと酒を呑みつつ生放送。
たまーーーに家族が来てもこのパターンはほぼ変わらず、ちょっと食事が豪華になるぐらい。

このお決まりのパターンを打ち破りたい!

というわけで…

秋の宮城県北部を巡れるだけ巡ってみたいと思います!!

ちなみに松島とかありがちなところには行ってませんよ!キヲツケテネ!

石巻市へ行こう

時は2015年9月のとある朝、近所のスーパー銭湯に浸かってから宮城県石巻市へと向かいました!

大まかな行程

今回は仙台市内から石巻に一気に向かうのですが、地図にするとこんな感じ。

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ルートを全部収めようとしたので縮尺が若干おかしい感じがしますが、おおよそ60キロの距離です。

石巻市付近までは有料道路(三陸自動車道)も通っているので、最速で30分ほどで石巻に到着出来たりします!

今回はスーパー銭湯から近い仙台港北ICから三陸自動車道に乗り、疾走ること40分。
宮城県東松島市石巻市の市境付近にある「石巻港IC」へ到着しました!

到着したところまでは良かった

が、行ったことがない観光場所の知識なんてそんなにあるはずもなく。
石巻へ向かう途中と、自分がホームページ更新を担当していた某国会議員様(選挙区が石巻~女川)のサイトに掲載されている画像の数々を思い出し、「あの辺を回っていけばいいかな」という風まかせで、まずは石巻市にある「サン・ファン館」へと行きました!

サン・ファン館とは?

伊達政宗さん(と、愉快な部下達)が建造した船「サン・ファン号」にちなんで造られた博物館「サン・ファン館」!
伊達政宗と言えば眼帯つけてー、イケメンでー…ってイメージが先行しがちですが、早くからスペイン人と外交を広げるなど、外交に特化した一面もあるのです!

というわけで、サン・ファン館に入る前に、ちょっと歴史のお勉強をしませう…!

伊達政宗徳川家康支倉常長と慶長使節と

当時の伊達家と伊達政宗

そもそも、伊達家と言えばこわーいこわーいおっ母(≒義姫)と、謀殺、誅殺大好き叔父さん(≒最上義光)と闘い続ける、花◎・愛の劇場のようなドロドロ家庭ドラマが皆様の頭の片隅にあるかと思いますが、その裏側ではスペインと貿易を始めようと頑張るなど、ザ・モースト・田舎だった奥州一帯を活性化させようとする一面もありました。

くっそ寒い、そんでもって江戸からもかなり離れた奥州をどうにかこうにか活性化させようと頑張りだすちょっと前から、スペイン人が何度か日本に漂着しては「開国シテクダサーイ。きりすとヲ布教サセテクダサーイ」とお願いしに来ておりました。
スペインの国王がわざわざ日本に来るぐらいだから相当マジってことです。

外国との貿易を開始すれば銭が入り、お菓子や強い武器も仕入れられる。
まぁまぁ悪くない話ではあったのですが、その度に日本大好きYOU・三浦按針(ウィリアム・アダムズ)さん「調子ニ乗ルト日ノ本ガ植民地ニサレマース。ダメ。絶対!ダメデース!」というアドバイスがあり、オフ会以外では全く会わないm◎x◎の同じコミュニティの一員ぐらいの距離感を保つことで着地しちゃいました。

独眼竜伊達政宗(個人的しっくり来る中の人≒渡辺謙)、動く

そんな停滞感漂う中、ザ・モースト・田舎 奥州の大名である伊達政宗が動き出します。
(伊達政宗にとって)嫌、かつメンドいヤツ豊臣秀吉が死んだ今、外国との貿易を開始すればお金は入るし、流通が活性化すれば内野聖陽徳川家康=サンからお給料(石高)を増やしてもらえるかも知れない!という考えのもと、家康=サンに「ちょっとスペイン行きたいんですけど」とお願いをすることにしました。
余談かつ推測ですが、ゆくゆくは武器も仕入れて徳川をMETSUBOUさせてやる…!と考えもあったらしいです。

これには当時めっちゃ偉かった徳川家康=サンもそこそこ乗ります。「まぁ所詮くっそ寒い地方の田舎大名だし、失敗してもそんなに大した被害にならないだろ」と判断。
無事?外交に関する許可を貰うことが出来ました!

許可を貰って早速、「俺のシマでキリスト教教えたいんだけどぉ、そもそもキリスト教って何なのか分かんねぇから、お前ちょっとスペイン行って話聞いて来いや」と、部下の支倉常長さんに任命したわけです。
これを、慶長遣欧使節(慶長使節)と言います。

建造レシピは6000/4000/6000/3000(多分)

滑りだしはまぁまぁ順調。
後は支倉さんが頑張れば「政宗の野望 全国版」が完成する…かも知れません。

しかしながら1つばかし問題がありました。
伊予(現在の愛媛県近辺)や安芸(現在の広島県近辺)、志摩(現在の三重県近辺)など、海を通じての商売が盛んな地域ならまだしも、その他の地域の船なんてものは河をスイスイ渡るための道具の一つでしかありませんでした。そこの河を走って渡る海王様はちょっと座っててください。

つまり、河を渡る渡り舟的なサムシングはあっても、長期間航海するための所謂「帆船」は無かったんです。
河渡るのにそんなもん必要ないものね。

で、伊達家も同様に、当初は手持ちのモノでなんとかしようとしたのですが、ポルトガル人に「やだー帆船持ってなくて許されるのは奴隷ぐらいだよねー」とバカにされたのかは定かではありませんが、いい機会だからと言うことで、支倉常長さんとその他商人大勢、船を動かす人たちが1年近く生活しても余裕なぐらいのデカさの船を作りました!
それが、この館のネーミングのもととなっている「サン・ファン・バウティスタ号」というわけです。

出港とバトル・オブ・オオサカとその後と

サン・ファン・バウティスタ号は1613年の秋(10月下旬)に、支倉常長と100人近い武士・商人を乗せ、石巻の港を出港。
3ヶ月かけて太平洋を渡って中南米の各国を渡り、更にグルーっと地球を回ること1年。スペイン・マドリードにやっとこさ到着しました!

到着して早速、スペイン国王に会った支倉常長は「行けるかも…?」という可能性を感じ始めます。
国王もそこまで悪い顔をしていなかったべさ!(東北弁で推定)

が、しかし、スペイン国王はあくまでも当時の偉い人。もっと偉い人・ローマ国王の許可を貰わないとキリスト教の布教が開始できません。それが頓挫すると通商も開始できないので、出張費が無駄になります。
そこで今度はローマに向かい、2ヶ月後にローマに到着します。ROME!

到着するなり、ローマ国王は「住民は大歓迎ですぞ!」と歓迎ムード
営業マン・支倉常長は本題を切り出し、国王は二つ返事で「布教はええんやで」。とOKを出してくれました。
更にローマ市民権を与え、ローマ貴族の一員として名を連ねるよう手配してくれました!YATTAネ!

ところが、肝心の通商に関しては「私にはよー分からんからやっぱりスペイン戻って(意訳)」と突っぱねます。
分かんない人にゴリ押ししても仕方がないのでもう1回スペインに戻り、スペイン国王に「通商開始オナシャス!」とお願いしますが、「おう考えてやるよ(通商開始するとは言っていない)」で強制終了。
更にここまでの旅費が重なりすぎてお金が無くなってしまいました。疲れとどうにも上手くいかないストレスから体調を崩すというおまけ付き。

一方その頃、日本では徳川・豊臣に分けて戦う武将オールスター戦「大阪の陣」が勃発しておりました。
家康さんも戦いに参加。
結果、家康さん率いる徳川連合軍が勝ちました。

勝った家康さんは慶長遣欧使節のことなどすっかり忘れていたのか、「キリスト教?ダメダメ、認めないよ」と言わんばかりにキリスト禁教令を出します。
この時点で営業マン・支倉常長さんの営業活動はどう転んでもいい結果に結びつかないことが確定しました。

そうとは知らない支倉常長さんは必死に「オナシャス!なんでもしますから!」とスペイン国王に頭を下げ続けますがやっぱり返答なし。
いよいよ本気で帰りの旅費も喰い始めたので、慶長遣欧使節は止む無くタイムアップ。
1年半の時をかけて宮城・石巻に戻ります。

そして戻ってきた支倉常長を絶望の淵に叩き落としたキリスト禁教令。
伊達政宗も愛娘(五郎八姫)を徳川方に嫁がせるなど家康に恭順する姿勢に早変わり。あんまりだぁ…!

失意の日々がそうさせたのか、疲れがさせたのか分かりませんが、その2年後に支倉常長は亡くなりました。ついでで「何トカきりすとヲ布教サセルノダ…!」と密入国までした宣教師(ソテロ)さんも色々あった末途中で捕まり、火計(いわゆる火あぶりの刑)に処せられちゃいました。

サン・ファン館へ!

そんな最後の方になるにつれて段々と悲しくなってくる「サン・ファン・バウティスタ号」があるサン・ファン館は、三陸自動車道石巻港ICから車で20分ほど。

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サン・ファン館は高台にあり、この看板の近くにあるエレベーターから館内入り口へと向かうことが出来ます!

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高台から、「サン・ファン・バウティスタ号」のレプリカを見ることも出来ます!
後述しますが、入場料を払えば中も見ることが出来ますよ!

ちなみに、リアルに海に浸かってます。例のあの震災時には津波をモロに被ってとんでもない有様になってたそうです。

入館!

入場料(700円→JAF会員割引560円)を払い、いよいよ館内へ!

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館内は慶長遣欧使節の資料が沢山ありました!

あの慶長遣欧使節の様子(≒大しけのときの船体の揺れっぷりなど、航海の大変さ)を体感できるシミュレーションシアターや、音声と共に人形が動き、当時の様子を再現しているコーナーなど、5感で楽しむ場所が沢山ありました!

サン・ファン・バウティスタ号に入船!

しかしながら、サン・ファン館の「一番の見せ所」はここだと思います!

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そう…
デカカァァァァァいッ説明不要!! 排水量:500t!!!
全長:55m!!!
最大幅:11m!!!
サン・ファン・バウティスタ号だ!!!

f:id:mekyonama:20160902090249j:plain館内からどこかの地下鉄の駅のようなクソ長いエスカレーターを降り切ると、小さい小舟が!(サン・ファン・バウティスタ号に乗り込むときに乗った小舟だそうです)
舟っていうとこんな感じですよね。こうね、カップルが井の頭公園辺りで乗ってるあのイメージ。

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サン・ファン・バウティスタ号の横には例の震災の時の記録などがパネル形式で掲載されていたり、実際の建造に使われた建築材などが展示されています!
それにしても原寸大ってこんなに大きいんやな…(意味深

船内

それらをじっくり観覧した後、いよいよ船内へと突入ー!
船内は模型中心に、本物そっくりのレプリカから人型の模型まで色々あり、勉強がてら楽しめる感じの構成となっております!

航海に必要不可欠な羅針盤あり

f:id:mekyonama:20160902090254j:plain黒ひげ海賊団に襲われても安心!な大砲があり

f:id:mekyonama:20160902090221j:plain衆道に誘われても安心?なボウガンありf:id:mekyonama:20160902090223j:plainポルトガル人?ありという豪華構成!
実際の船に乗るのは10年前にワイハー()で乗った普通の客船ぐらいの経験しか無かった僕には見るもの触れるもの何もかもが新鮮で、結構楽しかったです!

前編まとめ

いかがだったでしょうか!

石巻というとやっぱり「東日本大震災」や「津波」がついてまわる土地柄でありますが、それでもこういう歴史的建造物がまだ健在で、それを軸に復興に向けて頑張っている土地でもあるなぁ…と感じました!

2016-10-06追記

ちなみに、今回ご紹介した「サン・ファン・バウティスタ号」ですが、現在存亡の危機に瀕しているそうです。

復元船サン・ファン・バウティスタの乗船中止に至る経緯について/宮城県慶長使節船ミュージアム(愛称:サン・ファン館)

津波を受けてもなおその姿を留めていましたが、数年のうちに崩壊し始める可能性が高まったため、2016年10月現在、船内への入船が中止されているようです。
当時の様子を再現するということはそれだけの高額な維持費がかかる。それは分かるのですが、こういう体感型施設は残しておいた方が良いかとは思います。百聞は一見に如かずとも言いますし、何より大きいことはいいことだ(意味深)

てなわけで前編はこれにて終了!
続いては石巻から更に北の「女川」へと向かいます!

後編